HUB-SBA MAGAZINE

スペシャル・トーク「健康経営を考える」安田行宏(金融)×和田裕雄(医学)②

2023年11月27日

「スペシャル・トーク」シリーズは、一橋大学大学院経営管理研究科の教員・研究者が自身の研究テーマや共通のトピックについて一橋の卒業生・修了者と語り合う企画で、研究の意義や最新の研究内容を分かりやすく解説するとともに、対話を通じて社会へのメッセージを発信します。

第1回となる今回は、本学の安田行宏教授と、順天堂大学大学院医学研究科・和田裕雄教授が、「健康経営®*」について語り合いました。和田教授は、本学の経営管理プログラムの修了者で、医学領域の研究者でありながらMBAを取得した異色の経歴の持ち主です。安田教授と和田教授とは「健康経営」をテーマに共同研究を進めていて、昨年(2022年)は米国の学会誌に、本年(2023年)8月には日本証券アナリスト協会の証券アナリストジャーナルに共著の論文を寄稿しています。

■健康経営を株式市場はどう評価しているか? エビデンスはあるのか?

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安田:株式市場による健康経営の評価を見る上では、米国での先行研究が参考になります。米国では、American College of Occupational and Environmental Medicine (ACOEM)という労働安全衛生分野の医療専門家のための学会が、職場の健康と安全の向上を図った企業を表彰するためCorporate Health Achievement Award(CHAA)という賞を授与しています。これを受賞した企業の株価への影響に関する研究がいくつかあり、受賞が株価上昇につながっていることを示しています。この度、和田先生と共著で出した論文では、日本の経済産業省が推進する「健康経営銘柄」について、その銘柄選定の発表日前後の株価動向を比較分析し、健康経営として認められたことの株式市場での評価を測りました。その結果、特に複数回受賞している企業においては有意にプラスの株価を示しました。

とは言え、従業員のモチベーションを高めて生産性を上げるという組織マネジメントが優れているというコンセンサスはありますが、ではそれが会社全体としてのパフォーマンスにどうつながっているかという点では、両者の間にまだ距離があります。従業員個人のアウトカムというミクロの領域から、法人としての業績というマクロ数値までの間に飛躍があり、現在では暗黙的に「個人がベストなら会社もベスト」と考えるという状況です。ただし、パーパス経営の研究では、従業員の意識調査による1000人単位の分析において、それぞれ個人レベルで捉えているパーパスが企業全体の総意としてのパーパスに合致するという研究が出てきています。ですから、個人のモチベーションと企業全体のパフォーマンスを結び付けることは、データが揃えば可能ではあると思います。他方で、全体としての結果がミクロの段階での意図と異なっているということもあり得るので、両者の間の分析はさらなる研究が必要です。

■企業へのメッセージ~大切なのは、実は根源的なもの

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安田:健康を考える上で、心理的な要素が重要になっていますが、そこには人と人との関係が大きく影響しています。また、人との関係の取り方は個人差がありますが、企業はそうした多様な人の集まりです。ここまで、プレゼンティズムやワークエンゲージメントなど新たな概念について議論してきましたが、大切なのは、実は人として根源的なことなのではないかと思っています。

和田氏:そうですね。安田先生との共著論文では、日本企業を対象としましたが、業績が上がっている企業において福利厚生が充実した結果として従業員が健康なのか、従業員が健康だから企業が好業績を出せるのか、因果関係を示すメカニズムを明らかにする必要があると思います。しかし、どちらのメカニズムであるにせよ、私は産業医でもありますので、企業と従業員とそれを取り巻く社会とが健康を巡ってWin-Win-Winの関係になればよい、と願っています。近年、このような企業の社会的役割がより注目されていると思いますが、実は、その動きは、かつて渋沢栄一卿が「道徳経済合一」として、「企業の目的が利潤の追求にあるとしても、その根底には道徳が必要である」と説いた考えに通じるものがあるのではないか、と気付かされました。ここでは「道徳」と表現されていますが、やはり社会における企業活動の根底にある役割を改めて見つめ直すことが大切なのだと思うのです。これは、一橋の修了生としての正しい理解でしょうか(笑)?

安田:そういえば、経済学の父であるアダム・スミスの主張内容として、「私利私欲」が経済活動において重要だと強調されがちですが、それは行動原理として最も頑健で信頼できるからです。実は、そうした議論がなされる『国富論』の前にアダム・スミスは、『道徳感情論』で「道徳」の重要性を論じていますし、その人間像の中には健康という考え方も入っています。しかし、その大前提がいつのまにか当たり前ではなく、マネジメントの一つの要素となってきたという現実があり、それが可視化されてきたのが今日なのではないかと思っています。道徳の話をもう少しすると、「共感」の重要性が『道徳感情論』の中で論じられているのですが、それに関して、司馬遼太郎の「21世紀を生きる君たちへ」という文章の中に、「助け合うという気持ちや行動のもとは、いたわりの感情である。(中略)(それは)本能ではない。だから、私たちは訓練をしてそれを身につけなければいけない」と書かれています。いたわりの感情が「本能」ではないのはある意味ショックですよね。健康経営と企業価値の議論から遠い話のようではありますが、実は大変根源的な示唆がそこにはあると思います。

■今後の研究で追求したいこと

安田:「健康経営」の研究を進めるためには、医学・経済学・経営学といった異なる分野が学際的に研究を進める必要があると考えています。しかし、それぞれの立場によって見方が異なるので、その人のバックグラウンドにより、言葉の意味も少し違うこともあります。同じようなことがガバナンスについても言えます。ファイナンスの観点からすると、過去からのしがらみなどによる非効率な経営を防ぐためにガバナンスが重要として、マイナスをゼロに戻すことを考えます。一方、経営学では、ガバナンスにより企業価値を上げるという発想をします。健康経営も、それぞれの立場によって異なる見方がありますが、それらを持ち寄ることで初めて気づく知見があります。議論を重ね共通の理解の上に立ち、さらに新しい考え方が生まれるのではないかと期待して研究を進めています。

和田氏:そうですね。医学研究では、どうしても個人レベルでの病気の治癒と予防・健康増進がゴールになりがちです。公衆衛生学の研究でもどうしても、「健康」のフィールドの中で完結する話となる傾向があります。その外側の社会を研究する経済学・経営学の先生方のお話を伺っていますと、社会の動きを数値等で客観的に捉えた議論が展開され、大変刺激になります。そして、途方もない仮説ですが、企業において従業員の健康増進により企業業績を向上させるということが一般化していけば、個人レベルの健康向上により、より良い社会を作ることになる、そんなことを思い描きながら、学際的な研究を進めていきたいと考えています。

*「健康経営®」は、NPO法人健康経営研究会の登録商標です。

 

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