2024年07月08日
この記事を書いている今は、2024年の7月です。7月26日からはフランスのパリでオリンピックが開催されます。
オリンピックとは4年に一度開催される国際的なスポーツの祭典で、そこで繰り広げられるハイレベルな試合に私たちはしばしば釘付けになります。しかし、どんな人が何のためにオリンピックを目指しているのか、について知っている人はそれほど多くないのではないでしょうか。
この本は、オリンピックを目指すアスリートが、高い競技成果を残すことのもたらす内的報酬を求めて活動する様子を描いた、スポーツ・ノンフィクションです。舞台は、スポーツが商業化するきっかけになった、1984年のロサンゼルス・オリンピック。しかしボート競技は、商業化の波には乗れませんでした。そのようなボート競技に憑かれた男たちが、なぜそこまで生活を、また人生を犠牲にしてまでもオリンピックを目指すのか、について分厚く記述されています。
人生を犠牲...その意味に少し触れましょう。登場人物には、ハーバード大学を卒業した者、コーネル大学のメディカル・スクールを修了してまもなく医者になる者など、「なんでその経歴でボートやって、オリンピック目指しているの?」という人ばかりです。商業化していないボートではお金儲けはできないし、彼らの経歴からするとなんの得にもならないということが本書には徹底的に描かれています。しかしそれでも本書に豊かに描かれる、ボートが彼らにもたらす内的報酬の説明のおかげで、私たちは、彼らがボートに見いだした価値を理解することができます。
スポーツの経営・経済を研究する私にとってこの本は、スポーツを題材に研究する際の、あるべき姿をいつも思い出させてくれます。この研究分野では、利潤、つまり外的報酬を求める行為者を仮定して分析をしてしまいがちです。しかしこの分析枠組みでは、スポーツの本質を分析しきれていないかもしれません。スポーツの分析には、経済的活動としては捉えきれない側面を含められるような分析枠組みが必要なはずなのです。
そうした分析枠組みを創造するために、わたしはいつもこの本を思い出し、アスリートの求めるものが何かを理解しようとします。実は現代でも日本では、オリンピック日本代表の8割は、この物語のボート選手のようなアマチュアではないか、と指摘されています。彼らの行動を分析するなら、行動の本質を分析するうえで適切な概念を使うのがよいのではないか、と感じています。スポーツ経営・経済を分析したいという方にはぜひ、この本を読んでもらいたいなと思っています。
【Information】一橋大学附属図書館
デイビッド・ハルバースタム著(土屋政雄訳)(1982)
『栄光と狂気 : オリンピックに憑かれた男たち』東京 : TBSブリタニカ