HUB-SBA MAGAZINE

第20回マーキュリー会(MBA同窓会)が開催されました

2024年05月20日

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2月10日、「第20回マーキュリー会講演会および懇親パーティー」が千代田キャンパスの隣にある如水会館において開催されました。マーキュリー会は、一橋ビジネススクールの経営分析プログラム(国立キャンパス:昼間コース)および経営管理プログラム(千代田キャンパス:夜間コース)の同窓会組織で、例年2月に総会および同窓会を開催しており、在学生および修了者の親睦を深めています。 20回目となる今回は、昨年以上の出席者数となる約160名が集いました。また、かつて本学において教鞭を取られた伊丹敬之名誉教授、鈴木良隆名誉教授を始めとする先生方も約20名が参加され、大変盛況な会となりました。

会の冒頭は、大久保柳華さん(HUB6期)の司会のもと、田辺雄一マーキュリー会会長(MBA15期)より2022年度総会議事報告がありました。その後、三枝匡氏(株式会社ミスミグループ本社名誉会長、本学三枝匡経営者育成基金寄附者)が、「いでよ、経営人材~日本企業の元気復活を目指して」と題して講演し、出席したMBA修了者たちの発奮を促す熱いメッセージが送られました。

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続く懇親会では、加藤俊彦研究科長の乾杯の挨拶から始まり、伊丹先生と鈴木先生から、当時の思い出話が紹介されました。また、出席した教員からの挨拶もあり、中には、伊丹先生・鈴木先生の教え子であった頃のエピソードも含まれ、今では教員となった先生方が、学生に戻ったかのような、和気あいあいとした会となりました。その他、在学生を代表して、経営分析プログラム・日高萌那さんと経営管理プログラム・高原衣緒里さんから活動報告がありました。
 

基調講演 三枝匡氏(株式会社ミスミグループ本社名誉会長、本学三枝匡経営者育成基金寄附者)
「いでよ、経営者人材 ~日本企業の元気復活を目指して」

戦後の日米企業の勢い・競争力の趨勢を私の主観的なイメージで見てみると、1960-70年代に日本が高度成長を実現した頃、米国は長い凋落期に入りました。日米の競争力は逆転し、90年代にかけて日本の優位性が増していきました。しかし、バブル崩壊とともに日本経済は崖から落ち、その後も停滞が続いた一方、米国は90年代初めに出口を見つけ、再び力強い産業活性化を実現しました。私は、米国の復活と日本の停滞というそれぞれの事象には、当然そこに帰結する「伏線」があったと考えています。

米国では、日本に追い上げられる中で日本型の経営をよく観察し、それを概念化し、経営戦略として自らの経営に活かす努力をしてきたことが、復活の伏線となりました。例えば、かつての日本企業による低価格路線での市場シェアの獲得戦略や、その後の徹底した品質管理に基づく顧客満足度の向上による競争力強化、トヨタ自動車が開発した生産管理方法「カンバン方式」や生産技術など、日本企業のお家芸を米国は学び、90年代のIT導入とともに「リエンジニアリング」に結びつけ、産業革新を再びリードする立場となったのです。また、米国では広く知られる品質管理手法である「シックスシグマ」は日本を手本として米国がフレームワーク化したもので、品質改善リーダーを指す「ブラックベルト」の語源は「黒帯」です。それを日本は後年、逆輸入することになるのです。

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そうして米国に「読み取られ」ている間、日本企業には戦略思考が欠けていたと言わざるをえません。高度成長をもたらした集団主義的な組織力は、内向的なサラリーマン化を生んでしまいました。現場が育てた優れた生産技術は戦略化されることなく、いまだに工場の問題として扱われ、カンバン方式に至っては、高い効率性・計画性を生む「時間戦略」であるという本質を正しく理解されることもない状況です。

しかし、解決の糸口はあります。それは、「強い経営リーダーの抜擢」と、その下での「攻めの戦略」、そして、「今そこにいる人々を元気にする組織論」という三次元をワンセットで改革することです。日本の衰退は日本人ビジネスマンが生んでいると言っても過言ではありません。ですから、日本を元気にするには、まず自分たちで自分の会社を元気にする必要があります。しかし、やみくもに動いても意味がありません。海外企業家に負けない経営リテラシーを持ち、骨太な戦略ストーリーを発信できる人材がリーダーとなるべきです。それは一橋ビジネススクールで育った皆さんこそが期待されていることです。皆さんの健闘を祈ります。

img_blog20240508_04.jpg田辺会長(右)から三枝先生(左)に花束贈呈

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