2024年04月23日
一橋大学にはCaptains of Industryという校是がありますが、昭和の終わり頃には「士魂商才」という言葉も残っていました。この言葉に惹かれて本学商学部に入学した私にとって、『武士道』と題する本を手に取ることは自然のなりゆきでした。学部1年生のときです。
この本は新渡戸稲造(1862〜1933)が、当時の日本の道徳の背景を複数の外国人から問われたことに端を発して英文で著したもので、初版は1900年にアメリカで出版されました。セオドア・ルーズベルト大統領が本書に感銘を受けたことはよく知られています。トーマス・カーライルの文体に強く影響を受けた新渡戸による達意の英文は、かなり難解です。いくつか邦訳が出ています。その中では、原著の格調高さをよくとどめている矢内原忠雄訳が一番のお薦めです。
本書全巻を貫くのは「損得より大事なものがある」という武士の価値観であり信条です。その信条は、これを理屈にとどめることを許しません。日々の生において、ときに命を懸けてでも、これを実践する「生き方」が武士道に他なりません。しかもそれは西洋の価値観とも共鳴しうる。自身も少年期に武士的教育を受けた新渡戸は、東西の歴史・文学から豊富な例を引きつつ、これらのことを論じています。
「損得より大事なものがある」がゆえに、武士は富や商業を賤しみました。それは本書でも言及されています。こうした武士的姿勢に対して、「そんなことでは、これからの世の中、国を発展させ人々を幸せにすることはできない」といって事業活動や富の大切さを主張したのが、本学の大恩人であり、「論語と算盤」を唱えた渋沢栄一です。しかし決して見落としてはならないのは、渋沢のその主張もじつは「損得より大事なものがある」という武士道の土台の上に築かれている、ということです。
学部入学から40年近くになる今も、「士魂商才」は研究・教育の両面で私の意識から離れることはありません。そしてその底流には、新渡戸が『武士道』において示した「損得より大事なものがある」という生き方と「それは東西両洋に通じるものである」という見識とへの共感があるのです。
【Information】一橋大学附属図書館
新渡戸稲造著(矢内原忠雄訳)(1938/2007)
『武士道』岩波文庫