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70歳過ぎても働き続けるためMBAに入学しました。

2018年09月10日

これまでのコラム:

 

8月20日

 
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昭和女子大学 現代ビジネス研究所 研究員
豊島逸夫事務所 副代表
治部 れんげ

 40歳を過ぎて経営学修士課程に入った頃、仕事の関係者から「どうして?」と聞かれることがありました。

 それも当然だと思います。既に15年以上、会社員として働いた経験があり、海外留学も転職も独立も出産育児も経験済みでした。今から「転職」して会社勤めをする気は、そもそも、ありません。

 初年度の学費納入のため銀行へ行ったら窓口で「お子様の学費ですか?」と尋ねられました。「私です」と答えた時の戸惑い顔に大学や大学院は若い人が行くところ、という日本社会の常識が現れていたと思います。

 この年で「学び直し」が必要と思った最大の理由は70歳以降まで働くためです。私たち団塊ジュニアより下の世代は、親世代のように決まった年齢で老後を迎え、年金で生活するのは難しい。それは、日本の人口構造や財政状態から明らかです。

 個人の工夫で、厳しいマクロ環境をいかに生き抜くか。私は自分の健康と労働市場での価値を維持し高めることが一番の近道と考えています。

 会社勤めを始めて約10年経った32歳の時、フルブライトのジャーナリスト・プログラムでアメリカに留学しました。留学中は会社を休職したため、短期的には機会費用が発生しています。それでも、その後、10年のキャリアと私生活を考えると、あの時、1年休んで自己投資に充てたことが生きています。

20180907_katokogi.jpg 私が一橋大学の経営学修士課程に出願書類を出したのは41歳の時でした。これまで企業取材は数えきれないほど経験しています。ただ、この後、10年以上先を考えると、一度、立ち止まって体系的に学んでおいた方がいい、と思ったのでした。

 実際に講義が始まると「10年前に受けるべきだった」と思うことは多々ありました。例えば、必修科目の経営戦略については、この内容を知っていたら、私が過去に書いた記事は、もっと意味のあるものになったでしょう。

 記者時代、取材対象の著作物は出来るだけ目を通していたものの、独学や大量の資料読み込みといったOJTだけでは、届かないものがありました。それが何だったのか、次回以降、考えていきたいと思います。

治部 れんげ プロフィール

1997年、一橋大学法学部卒。日経BP社にて経済誌記者。2006~07年、ミシガン大学フルブライト客員研究員。2014年よりフリージャーナリスト。2018年、一橋大学大学院経営学修士コース(HMBA)修了。日経DUAL、Yahoo!ニュース個人、東洋経済オンライン等にダイバーシティ経営、女性のエンパワーメントについて執筆。現在、昭和女子大学現代ビジネス研究所研究員。東京大学情報学環客員研究員。日本政府主催の国際女性会議WAW!国内アドバイザー。2019年日本が議長国となるG20の公式エンゲージメントグループWomen20(W20)運営委員。東京都男女平等参画審議会委員(第5期)。公益財団法人ジョイセフ理事。一般財団法人女性労働協会評議員。著書に『稼ぐ妻 育てる夫』(勁草書房)、『炎上しない企業情報発信』(日本経済新聞出版社)等。2児の母。

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